PHS への感謝
1999年、16歳のときに PHS を持つようになって、それ以降ずっと、外出のときにはポケットにモバイル端末を忍ばせるのがお約束になっている。
2012-10-29 に june29.jp に載せた記事にも書いてある通り、ぼくは 1999 年に PHS を持つようになった。釧路高専への入学にあわせて寮に入ることになり、両親からしても「連絡を取りやすいように」ってことで持たせてもらえることになった。同級生の間ではどうだったかなあ、全員ではないものの、半分くらいの人々がモバイル端末を所持していたように思う。 https://gyazo.com/acf86d37009623771461a61ac01920a9
Pメール と PメールDX についても触れておきたい。ぼくの記憶では、通話料を気にしてか通話はそれほどしておらず、Pメール と PメールDX を用いた文字コミュニケーションが友人たちとの間でのメインの連絡手段だった。 電話番号を使用し音声端末同士で直接送受信でき、半角カナ及び半角英数字と絵文字が20文字まで送受信できた。
PメールDXは、ウィルコムが提供していた文字送信システム(SMS)である。Pメールとの違いは送受信はウィルコム間の端末に限定され、約1000文字の全角かな漢字・半角英数字・絵文字の送受信に対応していることである。
たしか Pメール はほとんどの友人との間で使えたので、ちょいちょい使っていた気がする。PメールDX を送受信できる相手とは、長文でのやりとりを楽しんでいた覚えがある。特に親しい友人たちとの間では「お誕生日おめでとうメール」を日付が変わったと同時に送り合うわけだが、相手の端末の 1 行当たりの表示文字数を把握しておいて、相手が見たときに見栄えがよくなるように工夫したものだった。 たとえば「自分の端末は 6 文字」「相手の端末は 8 文字」の場合は、こんな感じで文字列を組み立てて、
https://gyazo.com/498b36ea110be78dd4c2b06d26a39ab9
相手の端末で下記のように表示されることを狙うのである。労力がすごい!
https://gyazo.com/8cae91f84889766e30b950b488f84ef0
交際関係にある人間のペアは、相談して同じ機種に揃えるってのもよくやっていたと思う。青春っぽい話。
Pメール も PメールDX も送信者の電話番号を非通知にして送ることができたので、チェーンメールなどのよろしくない使われ方もあってたいへんだった。ティーンの学生たちに匿名送信という道具を与えない方がいいと思うな。 hr.icon
16 歳から 18 歳くらいまでの多感な時期に、友人たちとのコミュニケーションを支えてくれていたのは Pメール と PメールDX と、そして PHS だった。利用しなくなってから 20 年も経っているが、こうしてすらすらと思い出話が出てくるくらいにはぼくの人生に刻まれている。